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お米の国の人が創ったサムライ映画なんざぁ、
チャンチャラおかしくて見れるっかってんだよ!

…と思ってましたがビデオ屋で借りてきました。おもしろかった。サムライファンタジーって感じ。この「ファンタジーである」という部分に考えさせられるものがありまして。

【1】インディアン滅亡とサムライ滅亡がかけられた展開

【インディアンの場合】

当時、戦士ジェロニモの部隊は白人に善戦していました。
いよいよヤバくなって来た時、ジェロニモは部族会議で酋長連に
「全インディアンの指揮権を与えてくれれば、白人を追い払える」
と直訴します。しかし、酋長連は
「軍を組織することはインディアンのカラー(柄)に反する」
としてこれを却下。以後インディアン文化は縮小し風前の灯です。
しかし「インディアンは国持たぬ民」というカラーは幻想や物語の中だけには残りました。(自治区はあります。)あそこでジェロニモが王(国民に戦争に参加せよという「命令」ができる存在)になっていたら、そのカラーは幻想のなかにすら残らなかったかもしれません。

【サムライの場合】

一方「武士道=花は桜木、人は武士」みたいな大和カラーは、あの明治維新期にサムライ達が散ることで幻想の中に残ったともいえます。その代表が新撰組という「物語」でした。

なにかが滅びる時、その滅びゆくものを幻想の中だけにでも残そうとする動きがあり、それが成功すれば滅び以降の日常に生きなければいけない祖先達の心の支えになります。(武士道の他に、農民道・職人道・商人道・芸人道などがあります)ここ60年ほどの日本は、この「幻想の中に滅び行くものを保存する」に失敗続きだったのかもしれません。いま残っているのはリアルな「終りなき日常」という奴? もちろん、現実を生きる私達にはそれで無問題…なのかもしれませんけどね。

【2】その他

…話変わって、国宝レベルの鎧や刀や魂が無数に機能し、また停止する「戦場」というのはリアルなのかファンタジーなのか?おそらく、二つが渾然一体となって凄いことになってるんだろうな。戦争ではなく戦(いくさ)。兵士ではなく漢(おとこ)。「死ぬことで活きる」なんて心意気になるにはリアルだけでは追い付けそうにありませんもの。

こういった感想や考えは、日本人だけで創ったサムライ映画では引き出せなかったかもしれません。現代の日本人にとって、チョンマゲや切腹が「ファンタジー」であることの寂しさを再確認するためには、サムライにストレートな幻想を抱いている外国人が創る必要があったのかもしれません。たまにはチャンチャラおかしい作品も創ったり見たりした方が良いようですね。
ぜひともサム・ライミ監督のサムライ映画が見てみたい。

この映画でお気に入りの描写のひとつが、トムが道で数人の人斬りと殺陣を演じるシーン。最初に通常スピードで殺陣る。次にスローモーションで直前の殺陣の回想。(一種のフラッシュバック)「剣士とは明確なイマジネーションを持って敵と対峙する」が良く分かる撮り方であり、トムの剣術稽古での何手目で決着がつくか賭けるシーンと繋がってきます。こういったシーンを私は見たことがなかったので新鮮でした。小雪とのラブシーンを削って、こういうシーンを増やして欲しいかったな~。小雪さん奇麗だったけどね。
ただ未亡人のあり方としてあれは美しいのか?
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