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復讐論

右の頬を叩かれたら叩き還す。復讐は理解できるし共感できる感情であり、社会システムとしても犯罪抑止効果がある。「憎しみの連鎖を繰り返すだけ」という側面もあるが、人間は戦争を幾度も引き起こしているが絶滅には至っていない。

【1】戦争とは平和な社会システムが誰かに破られた場合に「味方」の絶滅を防ぎ、再び平和な社会システムに復帰するために起こる社会システムである、という言い方ができる。戦争による市場開拓と軍需景気を引き起こす場合は「復讐論」は利用できる。また平時においては、不安を煽り「無いモノを売り歩く」産業で社会システムを維持している。つまり人間は「復讐論」はコントロールできるし、利用している。

【2】そこで復讐ブームによる極端なモラルハザード(大量殺人症候群)が発生した場合についても想像してみる。警察&司法の機能を越えるほど瞬間的&大量に発生し、個々の犯罪者を確保できず、罰も与えれず、更生させることも出来ない状況だ。(これが自然発生する例など過去になかったと思うし、将来もないと思う。イメージとして近いのはルワンダ紛争とか北斗の拳とかゾンビ映画とか?)この状況から利潤を上げ続けるのは、どんなに強い人でもどんなに頭が良い人でも難しい。

また大量殺人症候群のようなモラルハザードが発生した時点で、自分の命を守る意味・他人の命を守る意味・「敵討ち」をする意味も失われる。このような虚無状況に陥らないためには「生きる意味の基盤をモラルにおかない」ことで避けれるが、それでも北斗の拳みたいな世界にしかならない。

私達は【1】の「混乱と秩序の中間を繰り返すだけの生活」を今まで営んできた。しかし「復讐」という人間の本質さえも利用する【1】の世界の価値を放棄する犯罪者が出現してきた。死刑を望む殺人者だ。他人の利益どころか自分の利益すら考えない人間なので、損得で人間の行動をコントロールする(1)のシステムでは抑止しきれないのだ。

「虚無」よりも「混乱と秩序の中間を繰り返すだけの生活」のほうがマシだ。しかし「繰り返すだけの生活」の中にも「虚無」がある。そして、その虚無から「復讐」は自分や社会が利用できるだけの道具にしか過ぎないことも見えてくる。復讐も虚無も欺瞞も、私達「自分」に様々なコトを教え、様々なモノを見せてくれる。それは本質的だけど悲しいコトだったり、表面的だけど楽しいモノだったりするだろう。だから、それら全てに感謝し、同時に「自分」を利用されないようにしなけらばならない。なぜなら、なにかに利用されている「自分」には、復讐や虚無や欺瞞などの様々な事象が見せてくれる事柄を正確に把握できなくなるからだ。

話を復讐論に戻す。現時点の社会の継続のためには、復讐論は論として存在すべきだ。幻の中にだけは存在するべきだ。という言い方が出来る。ただ「虚無」も「混乱と秩序の中間を繰り返すだけの生活」も嫌だというなら、別の手を考えなきゃだ。
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