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犯罪はまず個人的なこととして起こる。ひとりの人間の心に渦巻いていた地獄が現実の世界に噴出し、それを浴びた人間が死ぬ。殺される。次に、犠牲者に近い人間と殺人者に近い人間の心にも地獄の日々が訪れる。次に赤の他人に、この地獄が報道される。

【対応策】について 〜許し・復讐・対応策〜

重罰化や監視カメラによって地獄が現実世界に出現するのを未然に防ぐ。「対応」が出来ることを、近代的合理精神の賜物だ。人間であることに感謝したい。と同時に「悲しいことが起きる予感」もする。それは【地獄の出現を未然に防ぐ】は突き詰めてゆくと、人間の脳にピースメーカー(犯罪思考回路除去装置)の埋め込みを承認しかねない未来を予感させるからだ。地獄のない社会、それは人間の(近代人の)夢だが、生命の起源には逆らうことだ。

生命はそもそも煮えた硫黄と硫化水素の地獄で生まれ、他の命を喰らうことで生き永らえる修羅なのだ。性愛を味わおうとしても、誰かに「捨てる・捨てられる」の地獄を味合わせることになる。つまり宇宙の豊穣性を、個の肉体を通して現世に出現させることは=地獄を出現させることなのだ。だから【地獄の出現を未然に防ぐ】ことは【宇宙の豊穣性の出現を未然に防ぐ】にも繋がるんではないか?
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ヴィレッジのレヴューを書くきっかけになったのが、06/10/02にアメリカのアーミッシュ・スクールで起こった銃撃事件だ。

http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200610030003.html
http://www.rakuraku-soft.com/koda/index.php?id=327

娘を殺された父親が女性レポーターにマイクを向けられた。
「全てを神にゆだねる。犯人の行いを許すし、彼の妻が葬式に参列したいというなら喜んで迎え入れる。」とカメラに背中を向けながらつぶやく父親。
「そんなことが可能なんですか?」と詰問するレポーター。

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ヴィレッジ/パッケージ

監督    M・ナイト・シャマラン
アイヴィー ブライス・ダラス・ハワード
ルシアス  ホアキン・フェニックス
ノア    エイドリアン・ブロディ
エドワード ウィリアム・ハート
アリス   シガニー・ウィーバー

いわゆる狼男物。「狼男アメリカン」「ウルフ」「キャットピープル」とは違った斬り口で狼男を描いた映画。

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「羊たちの沈黙」を見たのは小学生頃で「セブン」は学生時代。初見時の感性の違いもあるが、羊さんより7さんの方が好きです。ジュディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの演技合戦は映画史の宝だが、完成度としては7の方が上だと思うよ。
一般的な評価としては羊が上。サスペンス映画に限れば、羊と7の間には・・・

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セブンのネット評を読んだら「ジョン・ドゥはハンニバル・レクター博士にゃ劣る」ってのが多かった。と言うわけで今回は「レクターvsジョン・ドゥ」をやってみたい。なんだか「エイリアンvsプレデター」みたいだ。う〜ん、小学生と変わらんな。

レクター

ジョン・ドゥ

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今回はジョン・ドゥの自首から衝撃のラストまで。あのラストがなぜ衝撃的なのか考えてみる。

セブン/ジョン・ドゥの自首

まずジョン・ドゥの自首のシーン。

「そこの刑事ッ!」のセリフはなぜか真似したくなる。吹き替えが良いからか?

そこから車中でのジョン・ドゥの語り。

「人々は理解しようとしないかもしれない。
 しかしこの作品を見て人々は考えるだろう。この行動の意味を」


セブン/車中のジョン・ドゥ

そして映画誌に残る衝撃のラストシーン。手錠をかけられ足も不自由な男と銃を持った2人の刑事との対決が、なぜ衝撃なのか?普通のアクション映画なら犯人が主人公にただ撃ち殺されるシーンで観客に緊張感を与えることなんかできない。しかし観客はジョン・ドゥの行動の意味を考えている最中なのだ。

その手がかりになるのが「God」という言葉。7つの大罪に関する殺人なので映画中も再三でてくる。ジョン・ドゥの部屋にも十字架と聖書があり、娼婦を殺させられた客も口にしている。そして、ラストにはミルズ刑事も大声で呼んでいる。ジョン・ドゥが根拠にしているのは、おそらく十戒を授けたヤハウェ的な裁きの神。ミルズが呼んだのは「汝の敵を愛せ」といったキリスト的な許しの神。つまり、旧約聖書と新約聖書の戦いであり、神のイメージのズレが人々を苦しめている、とも読める映画かも。…が、こればかりは日本で育った私には解らない。(キリストとは「仲間を殺した奴を殺すのが善の時代」に「仲間を殺した奴を許すのが善」という戦術の革命をもたらした人間でもある。それは同胞を捨てよ、の意味でもある。)

セブン/ミルズの決断

この映画が絶望的なのは、ミルズがジョン・ドゥを撃ち殺すことが最良の手だということだ。=ジョン・ドゥには最良の手を打ち続けても勝てないということ。そして私達「観客」は、ミルズが撃たないなんて結末を期待もしてないし、許容もできない。そしてミルズがジョン・ドゥを撃つことで、この連続殺人事件はジョン・ドゥの犯罪であることを超えて、人類の犯罪として認知され、人間の限界や定義を再定義する事件となった。これがサマセットが「撃てば奴の勝ちだ」のセリフの意味だ。

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『G線上のアリア』 図書館シーンで流れる

セブン/ミルズとサマセット

ヒーローになることを夢見る血気盛んなミルズ刑事と、深い虚無を背負う老練なサマーセット刑事。ミルズは刑事生活の最初のサマセットは最後の7日間を前代未聞の猟奇連続殺人犯を追うため行動を共にする。新米刑事とベテラン刑事というパターンは黒澤明の「天国と地獄」が原型らしいが、それを極めて「セブン」だ。まず構造が美しい。もちろん、細かなシーン、ちょっとした登場人物の全てが結末へと並べられたガラスの破片の様に美しい。

「この事件はハッピーエンドにはなりそうにないな」
「逮捕できりゃ俺はハッピーだぜ」


ミルズは犯人ジョン・ドゥを理解できず、サマセットは理解できる。しかし、ジョン・ドゥの人生と決定的に交わるのはミルズ。…が、今回はサマセット刑事について考えてみたい。彼は物語の最初から最後まで存在し、ミルズにもジョン・ドゥにも理解を示す観察者的存在だ。つまり私たち観客の立場に一番近い。

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本家サイトでの更新が滞ってまして。
そんで「気分一新してブログかな〜」ってな気分です。

ここでも映画や神話や時事をツラツラ書こうかと思っておりますが、自分の文章の生真面目さにブレーキングする意味も込めましてブログ名を「バッカな〜る」に決定。ケルナグールとか究極超人あ〜るとかに似てるな〜。やっぱり子供時代の影響って残るんだな。

「バッカナール」とは酒の神バッカスの宴という意味。海神ネプチューンよりも多くの者を溺れさせたってヤツだ。半年も続けりゃ、底抜けに陽気で怪しいバッカスの霊が降りてくるんじゃないかしら?って期待も込めまして。


あっ、このブログはシラフで運営することになってますよ。
では、また明日から。
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プロフィール

竜胆ヒマワリ

名前:竜胆ヒマワリ
職業:イラストレーター
バーナー/リヴァイアサン/ピンク

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